社長あいさつ
創業以来、株式会社ソノダは、鉄鋼業界とはじめ建設業界、自動車業界、産業廃棄物、医療機関、食品メーカー、さらに国公立大学などの研究・開発・製造の高圧ガスを供給して、社会基盤形成の一翼を担っています。一連のガス供給において、「高圧ガス一筋のソノダ」である株式会社ソノダに対しては、業界内外から大変高い評価をいただいております。
工場の生産現場では溶接や切断、加熱、熱処理、パージなどの場面においては酸素や窒素、アルゴン、アセチレンガスなどの工業用高圧ガスが用いられます。また、大学・研究機関の特殊実験では高純度ガスや高純度の複合ガスが利用されて、さらに医療機関においては酸素ガスや笑気ガス、炭酸ガス、滅菌ガスなどの高圧ガスが大いに活躍しています。「高圧ガス一筋のソノダ」では、これらの各種高圧ガスおよび関連機器を一手に取り扱い、さらに一般家庭向けにも液化石油ガス(=LPG、プロパン)を供給しています。
日本の高度経済成長の前夜ともいえる昭和35年7月、創業者・故園田金助・園田裕孝親子が北九州市の地において高圧ガスおよび器具販売を始めたのが、「高圧ガス一筋のソノダ」の創業でした。東京オリンピックの前年・昭和38年5月7日に有限会社園田商店として法人化、さらにバブル景気に沸いた昭和63年12月にCIを導入して、株式会社ソノダに社名を変更しました。
第44代アメリカ大統領にバラック・オバマ氏が就任した平成21年1月、株式会社ソノダの第3代目社長として私・園田昌德が企業経営の舵取りを任されました。
いま、「高圧ガス一筋のソノダ」は、新たなる未来に向け大いなる夢と希望を抱きながら、さらにしたたなか野望も秘めつつ、輝ける未来への第一歩を踏み出そうとしています。
そして創業100年に向け「高圧ガス一筋のソノダ」は、さらに爆発的な事業拡大に向けて火を付けます。
会社沿革
昭和35年7月 | 高圧ガスおよび関連器具の販売を目的に北九州市八幡西区熊西町1丁目6-1で園田金助・裕孝の親子で創業 |
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昭和38年5月8日 | 有限会社園田商店を資本金100万円で設立、初代代表取締役に園田金助が就任 |
昭和49年2月15日 | 臨時株主総会での園田金助辞任に伴い、代表取締役に園田裕孝が就任 |
昭和55年7月 | 液化石油ガスおよび関連機器の販売を開始 |
昭和56年1月28日 | 本社を北九州市八幡西区熊西2丁目2-35から同区大字上々津役818番地の8へ移転 |
昭和61年6月30日 | 本社を北九州市八幡西区大字上々津役818番地の8から現住所・同区上上津役2丁目19-16へ移転 |
昭和63年8月31日 | 有限会社園田商店から株式会社園田商店へ組織変更 |
昭和63年12月7日 | 株式会社園田商店から株式会社ソノダに社名変更 |
平成元年1月26日 | 資本金100万円から400万円に増資 |
平成3年1月28日 | 資本金400万円から1,000万円に増資 |
平成6年4月 | 株式会社アライブ買収に伴い葬儀業界に参入 |
平成9年6月 | 株式会社大央社買収に伴い葬儀業界に本格参入し経営の多角化を図る |
平成15年8月 | 株式会社ソノダに園田 昌德入社 |
平成19年8月 | 葬儀業界から完全撤退して、本業の高圧ガス事業を強化 |
平成21年1月17日 | 園田裕孝死去(平成20年12月15日没)に伴い、代表取締役に園田 昌德が就任 |
平成22年7月 | 創業 50周年 |
平成22年8月2日 | 資本金1,000万円から2,000万円に増資 |
平成22年8月17日 | 臨時株主総会で園田 和佳子が取締役に就任 |
平成29年9月 | 地場大手住宅会社と組み液化石油ガス(=LPG、プロパン)供給設備の積極的投資を開始 |
昭和35年7月 | 第1次池田勇人内閣が発足 |
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昭和38年5月 | 横綱・大鵬が史上初の6場所連続優勝を達成 |
昭和49年2月 | 東京大学宇宙航空研究所が初の誘導式ロケットを打ち上げに成功 |
昭和55年7月 | モスクワオリンピックが開幕 |
昭和56年1月 | 第40代アメリカ大統領にレーガン氏が就任 |
昭和61年6月 | 東京・上野動物園でパンダの新生児(トントン)が誕生 |
昭和63年8月 | イラン・イラク戦争が8年振りに停戦 |
昭和63年12月 | 有馬記念でオグリキャップが優勝 |
平成元年1月 | 昭和天皇が崩御、明仁皇太子が即位して新元号を「平成」とする |
平成3年1月 | 多国籍軍がイランを空爆、湾岸戦争が始まる |
平成6年4月 | 名古屋空港で中華航空機が着陸に失敗して264人死亡 |
平成9年6月 | 神戸児童連続殺傷事件で中学3年生男子の酒鬼薔薇聖斗を逮捕 |
平成15年8月 | 住民基本台帳ネットワークが本格稼動 |
平成19年8月 | 関西国際空港の第2滑走路が供用開始 |
平成21年1月 | 第44代アメリカ大統領にバラック・オバマ氏が就任 |
平成22年7月 | イースター島など南太平洋及び南アメリカ南部の一部で皆既日食が起こる |
平成22年8月17日 | 福岡商工会議所議員である安井玄一郎・リックス取締役相談役が古希を迎える |
平成29年9月 | 桐生祥秀、9秒98の快挙=日本勢初、10秒の壁突破-陸上100メートル |
会社概要
社 名 | 株式会社ソノダ |
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本社所在地 | 北九州市八幡西区上上津役2丁目19-16 TEL 093-612-2612 FAX 093-613-5692 |
設 立 | 昭和38年5月8日 |
資本金 | 2,000万円 |
役 員 | 代表取締役 園田 昌德 取締役 園田 和佳子 |
主な事業内容 | 1.高圧ガスおよび関連器具等の販売 2.医療用ガスおよび関連機器等の販売 3.液化石油ガスおよび関連機器等の販売 |
主要取引銀行 | 北九州銀行(八幡支店) 筑邦銀行(黒崎支店) 西日本シティ銀行(黒崎支店) 福岡銀行(黒崎支店) 福岡ひびき信用金庫(町上津役支店) ※50音順 |
主な仕入れ先 | 伊藤忠エネクス株式会社 岩谷産業株式会社 西日本イワタニガス株式会社 高圧ガス工業株式会社 エスシーウェル株式会社 日酸TANAKA株式会社 エコア株式会社 西部特機工業株式会社 有限会社共同設備 |
氏 名 | 園田 昌德(そのだ・まさのり) | |
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役 職 | 代表取締役 | |
生年月日 | 昭和45年4月8日(星座:牡羊座、動物占い:虎) | |
性 別 | 男性 | |
性 格 | 明るく・元気(ただし、何故かコノ2点ばかり強調される) | |
モットー | あかるく・元気に・前向きに | |
座右の銘 | 「和顔愛語」「因縁生起」 | |
出身地 | 福岡県 | |
出身校 | 国立大学 九州大学(平成7年卒) | |
経 歴 | 平成元年3月 | 福岡県立小倉高等学校 卒業 ⇒青雲の志で卒業するも、引き続き受験勉強の日々を迎える |
平成2年4月 | 国立大学 九州大学工学部 資源工学科 入学 ⇒ガス屋の倅にも関わらず(!?)、『石油王』を目指して資源工学科へ |
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平成7年3月 | 国立大学 九州大学工学部 資源工学科 卒業 ⇒生来の勉強好きだったからか、人より1年長く大学へ通う(!) |
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平成7年4月 | 日商岩井株式会社(現 双日株式会社) 入社 物資経理部 配属 ⇒大手石油会社と悩んだ末に商社マンを選ぶも配属先の仕事は物資の営業経理 |
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平成12年12月 | 日商岩井株式会社 生活・産業部門 配属 ⇒穀物、米、水産加工、食肉さらに切り花までを幅広く取り扱う部門で切り花の担当へ |
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平成13年3月 | 日商岩井ミートアンドアグリプロダクツ株式会社 出向 ⇒所属部門のうち、食肉・園芸分野が子会社化、全国津々浦々に”切り花”販路開拓の旅へ |
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平成15年4月 | 日商岩井株式会社 退職 ⇒色々世話になり、情の深く懐深い会社だった日商岩井に後ろ髪を引かれる思いで去る |
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平成15年8月 | 株式会社ソノダ 入社 ⇒小泉改革による深刻な景気低迷下、家業建て直しのために郷里へ戻る |
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平成15年12月 | 同社専務取締役に就任 ⇒名ばかり店長ならぬ「名ばかり専務」にならぬように奮闘するも時々空回り |
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平成21年1月 | 園田裕孝死去(平成20年12月没)に伴い代表取締役に就任 ⇒同月就任のオバマ・米国大統領より3日早く第3代目ソノダ社長に就任 |
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平成27年4月 | 福岡ひびき信用金庫 ひびしんニューリーダー会 26代会長に就任 ⇒「自分の殻を破り、更に上を目指せ」をテーマに経営者としての勉強会を促し「更に向こうへ、Plus Ultra(プルス・ウルトラ)!」 |
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平成29年6月 | 公益社団法人 八幡法人会 青年部会部会長に就任 ⇒人間性のたまもの?青年部会長に昇りつめる |
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令和元年4月 | 福岡・ブルガリア共和国友好協会 副会長に就任 ⇒なぜか世界有数のバラの産地 ブルガリア共和国に興味を(笑) |